第21話「恐れと祈りと雫が落ちる」


黒翼がふたつぶつかり合う空を見ながら、船は休まず出航した。
その船は小さく旧式で、旗印も持たない「おんぼろ」と言ってもいい飾り気のないものだった。
船を動かす船員達は、状況に着いて来られず怯えもしたが、すぐに出せとの幼い頭の声に、すぐに持ち場についてきびきびと動いた。
放られていたらしく、手入れもされていない。食料は幸い残されている。
フレークが言うには、これは物置代わりにされていたらしい。
船としては手入れが無いが、掃除はされていたらしく、食料庫にはそこそこに食べ物があるのだ。
日持ちのしないものもあり、中には妙に高級なものすらある。
堕落振りが伺えるというところだと、グラニューは吐き捨てた。
黒翼のうちのひとりは、出航を確認し、表情は変えずに内心安堵した。
もうひとつの狂気の黒翼は、目の前の剣が鋭いことに歓喜する。
船の方など見もせずに、先ほどの力強い剣のことなどよりも、今目の前の獲物を斬ることに歓喜しているのか。
その黒いふたつの影を見ながら、一行はひとまず安堵して良いのかと迷っていた。
誰もが展開を把握できない。何がどうして、こういう事になったのか。
そしてこの二人は何者なのか。
プディングは、剣を向ける仲間達に、信頼できる奴らだとだけ言った。
実際再会は数年ぶりだった。お互いそれなりに歳をとっている。
小さな剣士は、今よりも更にあどけなくて、瞳には不安があったものだ。希望も輝いていたが。
長い髪の性別不詳は、顔に傷を作っていた。喧嘩屋等という生業を始めたのは、プディングが町を出た後だ。
長身の大男は、聞き手に枷をはめたまま、小柄な騎士が偉く腕を上げたものだと思った。
冷静さをどうにか保つロゼは、お知り合いですかと尋ねる。
「オレの友達なんだ。・・・どうしたんだよ、二人とも・・・!?
・・・グラニューお前、その顔の傷どうしたんだよ・・・!?」
グラニューはにぃ、と笑ってプディングの金髪の短い髪を撫でた。
「俺達はいつでも、お前の味方ってことだ。ちっちゃいのは相変わらずだな。
・・・こんな傷はまあ、生業の勲章みたいなものさ。」
「何が勲章だか。誰が見てもいいモンじゃないって言うんだがな。こいつは荒っぽい真似がエスカレートしちまってな・・・。お前は随分強くなったようだな。」
フレークは苦笑していた。
「ホントに勲章なんてもんじゃねーだろ!折角綺麗な顔なのに・・・。治らないのかよ。
エスカレートして何やってんだよ?信じらんない奴だよな・・・。
オレは・・・一応騎士になったんだ、ホントはもっと強くなってから帰郷のつもりだったんだけどさ。」
「故郷の危機に勇者は帰る・・・だな。
俺はな、喧嘩屋って名で面倒事片付ける生業をやってるのさ。傷はちょいとドジっただけだ。」
グラニューは笑みを浮かべてそう並べた。
妖精花法の他には、それなりの体術の心得があった。接近戦から遠方戦から、纏う気迫と威圧感。
喧嘩屋グラニューは、一見恐い者無しの恐ろしい長身の男の鎧を持っていた。
その顔の傷が、美しい顔立ちに恐ろしい畏怖感を際だたせた。
それが無ければ、美女でしかないというのに。
表情が、女というイメージから外れている。そのひと睨み、凍り付かせるくらいの威力は充分ある。
プディングにしてみれば、自分の真似から始まったそれが、知らぬうちに自分が到達できない域に達している
ことに驚きは隠せない。こんな美人が、そんな真似しなくてもいいのに。
それがどうして、こんなに自信たっぷりで、今目の前で自分を助けてくれたものか。
話は、お互いの事情を踏まえつつ、大体の通しで交換し合う。
フレークの右手の枷は、ブレッドが易々と外してしまった。
「はぁん、お前もまた、随分と面白いことになってるものだな。フフフ・・・俺も力を貸すぜ。
魔界なんて所に行くとは、全く・・・生きてると面白いことになるものだな?」
グラニューは不敵に笑みを浮かべて、それは嬉しそうに瞳を妖しく輝かせた。
「ぐ・・グラニュー・・・・・お前さ・・・何でそんな楽しそうなんだよ・・・。
オレはお前がちょっと恐いよ・・・。危ないヤツなのは解ってたつもりだけど・・・
ホントにエスカレートしてんじゃん・・・。
フレーク、お前が側にいながらっ!何やらせてんだよ、危ねぇのにも程があるぜ!」
プディングは汗を浮かべながら、再会したばかりの友の有様に心底驚く。
「ああ・・・すまん。止めたくても止まらん、こいつは。危険が快感の変態かも知れんな。」
「誰が変態だ!全く、どうしてそう・・・二人して止めたがるんだ。俺は好きでやってるんだぞ?」
「だから問題なんだろ。」
「ホントだよ!」
双方から言われて、グラニューはふくれっ面だ。
そんな顔を見せれば、可愛い気がする。不思議な女だ。
横から黙って、ロゼは見ていた。
これはどうも、女性だなと。同類には鋭いらしい。
随分と、妖しい程の美しさを持つ。長い髪は膝まである。背は高いがその身は細く、
青い瞳は妖しさと共に危険なほどの強さと、恐いと思わせる光を帯びている。
こんな女は見たことがない。かのアプリコット姫も危険で女性を超越していると思ったが、
この人は本当に怖さを持っている。ある種、これは魔界人等なら持ち得る様な畏怖感だ。
傍らの大男は、穏やかであるようだ。それを側で支える者なのだと、見ていて解る。
話を聞いていれば、危険なことは止めさせたいのが友たちの意見であるらしい。
それについては、これほどの美女と見れば、自分も同意見だ。
こんな女が居ては、不安にもなろう。勝手な感想を上げるなら、危険さを解いたなら、普通の女であって欲しい。

「なあ、グラニューさんって、何かシャーベットに似てないか?
髪とか目とか、同じ色だし、何か似てない?」
そう言ったのはアールグレイだった。
薄碧の髪は海風になびき、青い瞳は吸い込まれてしまいそうだ。同じ色をしている。
「そうだよな・・・俺もなんとなく、そう思ってた。」
ガナッシュが隣で同意する。
「そういえばシャーベットは何処へ行ったんだ?・・・思い詰めた様な顔をしていたぞ・・・。」
カフェラーテが、噂される片割れを目で探すが、見当たらない。
「いつも側にいるのが探してたから、まあ任せておけばいいだろうさ。
・・・見えなくなったな、黒い翼は。」
ラズベリーがそう、遠くを見るように言う。
「・・・・・何だか、・・・あれは何だったんでしょうか・・・。ガーリック殿も黒い翼を持って・・・。」
プレッツエルが、整理が着かないという顔で言う。
それについては、ブレッドが知っているようだと、グラッセは少年を見やる。
言わずとも、ブレッドは話し出す。
「ガーリック様は、言われていたことから察すると、魔神族です。
族長の娘だと仰っていた・・・。魔神族とは、魔族の中でも少数しか居ない、魔の力が特に強い
失われたと思われている民族です。魔の神の一族とも言われます。
魔王は・・・魔神族であったと言われています。
かつて聖神ストロベリー様に封印された魔王は、魔神族の民に護られて眠るという言い伝えが
魔界にはあります。おとぎ話の様な話なのですが・・・本当なのかも知れません。
・・・あの黒翼の剣士は・・・魔神族なのでしょう。
僕の推測ですが・・・血を求めて、戦地となったあの場にやって来たのでは・・・。」
カルボナーラが息を吐き出すように言う。
「・・・そんな古の一族が・・・。聞いたことがあるわ。魔神族には、翼を持つ者がいるって。
枕元で聞かされた話でしかないけど・・・。」
「・・・恐い話が子守歌なんだな。」
カフェラーテはそう感想を零す。
「まあ・・・そう言われれば、納得は出来ますね。
黒い翼の魔神族は、争いを好むと・・・。聞こえた声は言っていましたね、血を求めているようなそんなことを・・・。戦いを起こしたばかりに、恐ろしい者を呼び寄せてしまった・・・・・
ガーリックは素性を語らない人でしたが、あの様な恐ろしい者とは違います。
予定が多いに狂いましたが、番狂わせでも船には乗れましたね・・・。」
分析しながら言う、ロゼ。流石に恐怖心が隠せないらしい。
恐怖で震えるのは、ミントだ・・・。
それを必死に顔に出さぬように頑張っているのが解る。
そっと、カシューが包んでいた。
「乗れたことは、乗れたし。早くアプリコット様を連れて帰らなきゃな。
訳のわかんないことに、これ以上なったら困るよ。あいつ、馬鹿みたいに強かった・・・。
命のやりとりをしたい相手じゃねーよ・・・。」
アールグレイは、言葉は軽く言うが、表情は至って真面目だ。
「お前がそう言うんなら、・・・恐い話だな。
まったく、お前の背を護るつもりで、役に立たなかったんだな・・・。助けられてちゃ・・・」
ガナッシュは相棒の表情を見ながら、自分は護られたかと、息を吐いた。
「・・・そんなこと思わなくていいって。とりあえず今は、俺達の最初の目的をさ・・・
果たしに行こうぜ。戻れないんだからさ。あの黒い翼のヤツは、ガーリックさんが・・・
やっつけてくれれば・・・うーんと・・・これから魔界なんだもんな・・・。」
アールグレイは、ガナッシュの肩にぽんと手を置いて、視線は遙か向こうの何も見えない海の先へ。
「あんたは余裕だね。」
それこそ妙に余裕がありそうなクラムが、アールグレイを見て言う。
「そんなに余裕でもないぜ。わけがわかんねえよ。
こういうときは、最初の目的を果たす・・・でいいんじゃないのかなと思うんだけど。」
「アールグレイ、俺達はそれでいいと思う。・・・何だか頼もしいな。
いざというときはちゃんとしっかり立っていられる奴だ、お前は。」
「・・・頼れるんなら頼ってくれてもいいぜ。・・・ガナッシュ少し震えてる・・・。」
「・・・武者震いだよ・・・。頭じゃそれなりに理解したつもりでも、心が着いてこないもんだな・・・。」
「そんな武者震いあるかよ・・・。無理すっと疲れるぜ。今くらいは気を抜いとけよ・・・。」
そう言われて、ガナッシュははあ、と大きくひとつ呼吸する。
魔界へ、向かっている。そんな、魔神族なんていう者も住まう、何も知らない闇の土地だ。
思えば人間は誰も行ったことのない未開の魔境。その前に魔物の住処の探索だ。
カルボナーラが言うには、魔界の扉はヨーグル島の洞窟内にあるという。
それを見つけるのは安いことと言うのでいいとしても、強い魔物がうじゃうじゃ居るとされる所だ。
それでも、魔物を倒して進むだけなら、人間相手のいざこざや恐ろしい血に飢えたおかしな奴と
やりあうのに比べたら、ずっと単純作業には思えた。
ただ、進むしかないと、そう思った。
「こんな状況でいちゃいちゃ出来るなんて、大した余裕だ。」
そう言いながら、ラズベリーはプディングの肩に手を回した。
「なっ何考えてんだよこんなときにっ・・・・・」
「まあ、アールグレイと同じ事?ちょっと震えてるから、落ち着かせてあげたくて。」
「っ・・・テメエも大した余裕じゃないかよ・・・。震えてねェよっ・・・離せよ・・・・・。」
「駄目だよ、蹴り飛ばす余裕のない君を放っておけと言うのは、無理だよ。」
「くっ・・・・・。」
プディングは唇を噛んだ。そこにいる誰もが、人間達は、一応の整理が着いた頭で、これから赴くその場所を恐れていた。
「・・・アプリコットなら・・・恐れるどころか楽しみにしそうだけど・・・。
お前が悪いんだぞ、馬鹿女・・・。そんな風に思うような奴を、こんなに必死に助けようと・・・
居るんだろうな、無事なんだろうな・・・?
・・・・・ミーソ神と対峙したなら・・・無事なんだろうな・・・?
僕の中に武神が居るのなら、力を貸してくれ・・・。
お前の中にソルト神が居るというのなら・・・ミーソ神にも太刀打ち出来るのだろうか・・・?」
カフェラーテは祈るように、海の向こうを真っ直ぐに見ていた。
未だ何も見えてこない。落ち着いてみれば、無茶なことをしているものだ。
それでも、一心にアプリコットを思って、皆こうして進んでいる。
恐れるな、僕の心。ただ、向かっていけば、お前が居たらいい・・・。
そう、心を立たせるように、振り返ると仲間達がそれぞれの思いを胸に、海の先を見つめていた。


シャーベットはひとり、誰もいない船の反対側で、見えなくなった海岸を見つめていた。
頭として、責任を取るつもりで居た。
漠然と、何をする気なのかは解らないままだったが、落とし前はつけなければと思った。
率いるだけの力の足りない子供であるが故。
任せられたものを統べられなかった。
町に危害が及んで、心の行いの悪い者の欲に火を付けることになった。
何をするつもりで、自分は立っていたんだろう。
何も出来ないまま、解らない邪魔が入って、頭の中は目茶苦茶だった。
ようやく少し、整理が着いてきたところだったが、こんな弱い自分は見せられない。
上に立つには幼すぎたのか?甘いと言われて馬鹿にされて、見えない威光だけで自分は恐れられただけの存在だ。
この先、どうしていたらいいというのだろう・・・・・。
責任というものは、こんなにも重たいものなんだ・・・。
どうしていいかわからない悔やみと自責と、弱い自分が許せなくて、静かすぎる航海が重く感じた。
「何やってんだ、そんなトコで。」
ビアの声がした。
「なんでもない。」
それしか言えない。
ビアは、顔は見ずとも解っていた。優しすぎる心の、行き場の無さを。
泣きたくても涙すら出てこないくらいの、どうしようもない気持ちを。
これから行くのは、思ったよりも恐ろしい所らしい。
支えてやれるのは、こいつを解ってるのは、俺だけだと。
出る前に、後を任されたウイスキーに言われてきたのだ。支えてやれと。
脆いのはよく知っている。意地っ張りなのもよく知っている。
ただ黙って、後ろから抱きすくめた。
「・・・?!な、なに・・・?」
「ばーか、何を一人でマイナス思考に浸ってんだよ。悪りぃ癖だぞ。
・・・俺しか居ないから、泣けるときに泣くだけ泣いとけ・・・・・。」
滅多に優しい顔なんてしないビアが、こういう事を言うときは、甘えてもいいって言っているとき。
後ろから支えてくれるのは、顔は見ないと言ってくれているから。
「ずるいよビア・・・・・。こ・・なときだ・・け優しいなん・・・てっ・・・
・・・・・う・・・・ぁ・・・・・」
一度ほどかれたら、吹き出すように涙が溢れ出る。
後ろで支えてくれる、兄のような喧嘩友達のようなその人の、たまにしか見せてくれない暖かさが、シャーベットの心を優しく溶かして暖める。
何も言わないで、ただ、崩れる自分を支えてくれている。
こんな、この位の度量があったら良かった。支える強さが欲しかったのに。
「お前が悪いわけじゃねえよ・・・。オメーが頑張ってるのをな・・・
見てた奴は見てたんだぜ・・・。俺はオメーのそういうトコ嫌いじゃねェよ。」
それだけ、後ろからぼそっとだけど、言ってくれた。
「うん・・・。」
ただ、今はただ、少し暖められていてもいいですか?
どうしようもない悲しみは、優しすぎる少年を打ちのめしたが、それを全て包むだけの存在が
側にいてくれたことを、シャーベットはただただ、嬉しくて泣いていた。
悲しみでも、後悔の念でも、自責でもなくて、恐れでもなくて・・・・・
暖かくて嬉しい。もう少しだけ、こうさせていて欲しいとだけ呟いて、ぽんと頭を叩かれた。


魔界の空は泣いていて、3人が立つ間に真っ直ぐ、水の糸を降らせていた。
アプリコットは立っていた。目の前に居るのは、なんとも言い難い表情で自分を見る女。
何を、自分に見ているのか。会ったこともない者に向けられるには、材料が足りない。
「何だ、俺はお前には初めて会うと思うんだけどなァ・・・。
俺の魔力が何だってーのよ?
・・・俺様の親戚には魔族でも居たか。お前は人間みたいだけどよ。
あんまり長居してもいられねェんだ、王妃は帰すから、俺も帰してくれよ。」
アプリコットは、アルデンテの無言の視線に困惑していた。
アルデンテも、どう出て良いのか解らず、黙して立っていた。
ミーソは、様子を伺う。アルデンテが見ているものは、ミーソにも知らぬことだった。
「魔王様の・・・力だ・・・。」
アルデンテの言葉は、困惑と期待、雨に紛れてこぼれ落ちる。
その言葉を耳に拾ったミーソの表情が動いた。
魔王の魔力だと・・・。
失念しかけて諦めかけた心に、何か疼くものを感じた。
ただ、雨は強く降り続け、暗い空は明けることがあるのかと、人間界育ちの王女はそう思った。
「・・・わっかんねェけど、案外ここへ来たのも、何かあるっぽいの、かな?」
ここへ来ても余裕があった。落ち着かせなければいけないのは、溢れる自身のその魔力。
帰らなければ、何日経ったことか。大体この王妃、無茶なことを言っていたものだ。
今頃は、自分を連れ戻すために、何かがどうにか動いていることだろう。
アールグレイとガナッシュは、そのまま追ってきていると思う。
あの二人は、そういう奴らだ。
ミントが心配だ。勢いで一緒に追って来かねない。
早くここを脱出して、国へ帰らなくてはいけないのに、何だか事態が簡単に許さないらしくて、
成り行きっていうのは、どうにもやっぱり成り行きというだけのことはある。
自力で一人で帰れないのは解っているのだから、目の前の状況をどうにかしないと
どうにもなりそうにない。
「黙ってんじゃねェよ。この際聞くから、言いたいことは話してくれよ。」
彼女なりの、控えめな言い方だ。
「お前は・・・お前のその力、確かに魔王様のもの・・・!
人間がどうしてその様な力を・・・それまでに溢れるほどに纏うのだ・・・?」
「魔王だァ?・・・・・はぁ、これは魔王のものだってかよ。
何で神国の血ィ引いてて魔王の力持ってんだろうなァ・・・。
何だよ、世の中突然わかんねえことばかりだな?それしか言わねぇのは無しだぜ、
その仰ぐような瞳の理由、ちゃんと聞かせてくれ。」

ただ、静かに雨音が消え、しっとりとした繊細な雫が落ちてくるようになり、
はやるアプリコットの気持ちは、冷えた身体と相反して、妙に高ぶって熱くなる。
その横に、絡まった心の糸を思い出すミーソが居る。
目の前の存在に、戸惑うアルデンテ。
時間が惜しいのに、ただ、経つばかり。
ただ、雫が落ちて、ただ、時が過ぎて、3人の心が焦りを重ねていく。
一番焦っているのはミーソだった。
時が経てば経つほどに、隣の小娘の魔力は高みに増していく。
それが増すごとに、魔力は純粋さを磨いて増していく。
それに、いよいよ耐えられなくなったアプリコットは、汗をかいて立っていた。

・・・なんだ・・・やべぇな、段々抑えてられなくなってきやがった。
アレか、話に沿えば魔王の力か、これ。
魔界に来て増しちゃったって話か。ははは・・・なにがどうでそんな力が俺にあるやら。
抑えられないのが一番困るぜ・・・。抑えきれねェ、放てねェ。
対処無しだな・・・どうすっかな、こいつぁ・・・。

アプリコットが汗だくになっているその隣で、ミーソは震える。
・・・何だ、その魔力は。
おのれ・・・。恐ろしいだと?私が恐れているだと・・・?
私を誰だと思っている・・・精霊神が魔の神、ミーソぞ・・・?
・・・・・ふ・・・捨てた名に縋り付くか我よ・・・。
愚かと言うか、ソルトよ。
馬鹿者と罵声を浴びせるか、ビネガーよ。
シュガー・・・お前ならば、お馬鹿さんねと笑うか。
ソイソース・・・お前は・・・わからぬな・・・。何も言わぬか。
ふふふ・・・惨めなり我よ。
私の誇りなど、魔力にだけしか有りはせぬ。
それを遙かに超えられて、目の前で見せつけられて、我は恐怖を覚えるか。
小娘の今の力量にて扱えるものでは無いというに・・・。
わかっていても、恐るるか・・・。
これが恐怖か、この私が。
フン・・・・・いいだろう・・・もう、王妃等という枷は捨てるときか。
魔界人の心ひとつ、私には手に出来なかった。
もういいか、もう何もかも、捨て去れば良いか。
もともと捨てて、ここへ来たのだ・・・。

ミーソの心に、闇が影を刺し、ひたすらやけに痛みを帯びて落ちていく。
一度落ちると、落ちるほうが早いものか。
魔界へ来てから手を伸ばした光が、見えない。
どうしてそんなにも、心は折れたままか。
魔界に、真性の魔が響き渡っていく。
闇ではない。
真紅の瞳は、息を荒くしてやっと立っている。
膝すら折らないのは、アプリコットの意地だった。
ここで負けてたまるか。自分の中にあるものに、何故潰されなければいけないんだ、と。
そのふたりを、無言で見ているアルデンテ。
押しつぶされそうな程の魔力が、自らをも地に伏せるが、それもいいかと思っていた。
ただ、切ることが出来ないでいた。
ここで、魔界で得た、友という名の宝を・・・彼女は言わず大切にしていた。
特に四天王がひとり、レア。
明るい脳天気といううわべを、疑わずに付き合ってくれた。
そのレアと、ここで別れるのが辛かった。そんな半端な気持ちで、真性の魔王の力に、どうして仕えることが出来よう。
アルデンテもまだ若く、目の前の事ひとつ、対処できずに立っているだけ。
雫が落ちるのも気が付けば止み、暗い空にうっすらと赤みを帯びた光が漏れる。
「はは、なんだ、魔界でもこんな空になるんだな。」
言葉だけは余裕がありそうな人間の少女も、立っているのがやっと。

「アルデンテ、ごめんね、お留守番の筈だったけど、いてもたってもいられなくなっちゃった。」

髪は黒いのか、銀髪というには少し黒みがあり、水晶のような紫の瞳を持った・・・それは少年に見えた。
魔界というイメージからは想像が出来ない、人間界の者の想像には無いような・・・穏やかなものを纏う、その人は魔界王。

「迎えに来たよ、バケット。」

穏やかで、暖かい。全て包み込むような笑み。
後ろで四天王が3人が、控えて頭を垂れている。
3人とも、アプリコットの魔力に押さえつけられていても、姿勢は正したまま。

「人間界からのお客さま、もう大丈夫だよ。よくがんばったね。偉いなあ。
ゆっくりね、解放してね、力を抜くの。
徐々に抑えられるようになるからね、少しずつ息を吐く、みたいなね。」

優しい言葉は、周りを牽制していたアプリコットのとげどけしい気持ちをまず和らげた。

「はーあ、誰だか知らねェが、偉く楽なアドバイスだ、ありがとよ。
マッサージの人みてーなセリフだ、何時だか聞いたな、そんな言葉。
ああ・・・ガキの頃に魔力持て余しては、聞いてた言葉かな・・・。」

魔界王ブラックペパー。
暗い世界を統べる王。
それでもこの世界の民が心に光を持ち得続けられるのは、この王ありきのことであった。




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何か今回は緊迫して崩れそうになって穏やかに続きますが。
っていうか、暗い。cryというか。・・・つまんないって。
怖がってばかりはいられません、そうそう泣いてもいられません。
恐い質の姉ちゃんがある意味一番恐いって感じで、航海は始まり。
アプリコット姫は風邪引きそうですね・・・。
魔界王と王妃と四天王と、お客さま。魔界へ進んでいく騎士達。
みんな結構、カダガタになってます。

06 9/5

つづく

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