第10話「落雷」

その日のフォンドヴォー帝国は雷鳴とどろく雨天だった。
漆黒の衣装を纏った銀髪の男は、手に式神を乗せ、にやり、と僅かに口を動かした。
その男、フォンドヴォー皇帝ウスター・ソースは、使命を果たして離れていく式神を
横目にちらりと見やり、すぐに暗い部屋に何処ともなく視線を移す。
「フフフ・・・。今シチュードバーグにアプリコットは居ない。
国王も留守。俺に好機が回ってきたな・・・。
密偵もよく働いてくれているな。
あの女も何を考えているかわからんが、魔界四天王のひとりとして潜り込み、
上手い具合に俺に情報を流してくれるわ。
アルデンテ、いい女だったな。魔界人でもないのに四天王に登る力量。
上手く俺の手のもとに留めておかねばな・・・。」
そう、皇帝ウスター・ソースは、チェスの駒を世界地図に乗せ、静かに笑い声を立てた・・・。



「アルデンテ、何やってんだよ。」
牙を持つ少年、魔界四天王ミディアムは、鬼神術法の式神を手に乗せている女、四天王アルデンテに声をかけた。
「なんでもないわ。」
アルデンテはそれだけ言う。
「バケット王妃はアプリコット姫に連れ去られた・・・。
それは本当なのか、アルデンテ。」
四天王ウェルダンが問う。
「そうよ。式神は嘘はつかないから。」
アルデンテは言った。
「鬼神術法って、確か人間界の・・・シチュードバーグから遙か東の国の方の難しい術よねえ。
脳天気そうなアルデンテがそんなの使えるなんて、凄いよね。」
四天王レアが感心そうに言った。
「べっつに大したことじゃないわよ。脳天気で悪かったわね。」
僚友レアの言葉に、大袈裟に表情を作って言い返すアルデンテ。
「それより早く行こうぜー?アプリコット姫ってすっごい怖い女だっつーじゃないか。
俺等も四天王になるくらい強いつもりだけどさ、半端な強さじゃないって話じゃねーの。」
アルデンテ以上に脳天気そうな少年ミディアムはそう言う。
「人間は、精霊神の加護を受けて生きる生き物だ。魔界では、精霊魔法も力薄く、
我等魔界人の魔王様の加護の下の力は強く生きる。
我等4人、負けはせん。」
一人真面目そうなウェルダンだった。



アプリコットは、魔界の闇の中、脱出を目指してただ歩いていた。
隣にはバケットことミーソが、無言で居る。
「おい、お前もいつまでも俺様に捕まってるのもしゃくだろうよ?ようはお前はカルボナーラが
帰ってくればいいんじゃねえのか。
黙ってないで俺に帰り道を教えろ。そうすれば、俺も協力してやるぜ?
・・・・・それとも、他に狙いがあるのか?ことによっては・・・いや。」
そこまで言って、アプリコットは言葉を切った。
−こいつ、何を考えてるかわかりゃしねぇ−
最初はカルボナーラのことを愛する男かと思っていた。
だが、この人物は魔界王妃で、精霊神ミーソだという。
そう、魔界王妃。そして精霊神。
狙いが解らない。
魔力は封じられても、まだ何か、隠しているかわからないこの謎の人物を
軽んじてはいけない・・・。
何故、黙って囚われたまま、ついてきている?
こいつは、一体何がしたいのか。
それは、カルボナーラがアールグレイ達に話したように、ただ、幼き日の小さな想いから、ただ、側にいたい人・・・。
それだけであった。
過去、ミーソは、精霊神から、バケットという子供の姿に転身した。
他の精霊神達は、人間に転生したが、ミーソだけは魔界に惹かれた。
だが精霊神が魔界人に転生することはならず、精霊神の特性を持ち得たまま精霊の子供としてミーソは転生した。
魔界には、日の光も届かぬかわりに、ひとりの少女がいた。
少女は、魔界の王女であった。
ひとり、つまらなそうにしている少女の姿を、バケットは見ていた。
自分と何処か似ている。
周りと浮いてしまう自分と。
少女、カルボナーラは、魔界人としては変わった娘であった。
魔力があまり強くなく、人間界にいつも憧れを抱いていた。
王女という身分がまた、少女をひとりにした。
ミーソという精霊神は、他の精霊神達とは何処か違い、浮いた存在であった。
決して、ソルトやシュガー達が疎外したわけではない。
ただ、ミーソが何かをずっと、避けていた。
ただ、不器用だった。素直になれなかった。
そんな自分に、似ている存在を見つけた。
魔界の少女達の中でひとりでいた王女と、はじめて心を通わせてみたくなった。
もっとも、カルボナーラは、別にミーソのように自分から仲間を遠ざけたわけではなく
趣向の違いから、仲間になれなかっただけなのだが、それでも、寂しい存在であるのにかわりはなかった。
少年と称したバケットを、カルボナーラは最初は受け入れた。
カルボナーラの寂しさは、自分を受け入れてくれない、そういったものだったから、近付いてきた少年を疎んじる理由は最初は、無かった。
だが、少年の姿をとっていたことが仇となった。
美しいバケットは、魔界の少女達にほんのり暖かい想いを抱かせた。
いつも一緒にいたカルボナーラは、ただでさえ仲間に入れない存在であったのに、嫉妬の対象になってしまった。
バケットが他の少女を受け入れなかったことも相まって、カルボナーラは段々、バケット以外と遊ぶことが出来なくなった。
カルボナーラは少女達の中にいることに憧れていた。
それがかなわなくなったことが傍らの少年であることに気付いたとき、カルボナーラは少年を疎んじた。

「カルボナーラは、どうして私を避けるのか」

ただ、追いかけた。
少女というものは、ときに、残酷であった。
寂しさと寂しさが噛み合わない。
ただ、唯一、自分を受け容れてくれた人のことを、どうしてもっと相手の心を考えることが出来なかったのであろう。
お互い、寂しさばかりを訴え、そして恨んでしまった。
魔界の暗闇が、やけに重く感じる。
どうして。
ただ、我が侭に追いかけることと、避けることしか出来ない二人は、今もなお、
咬み合わない思いを頑なに抱き続けるしか出来なかった・・・。

そんなことを、アプリコットは知るよしもなかった。
この何だか解らない存在は、何をしたいのか。
どうしてそもそもこうなってしまったのか?
ただ、人間界で力の差が歴然としていたそのときに、油断して囚われた。
今は魔界にいて、魔王の力に目覚めた故にはじめて力に圧倒的な差が出来た。
そんなことアプリコットはまだ知りもしないのだが、
ミーソは魔力を封じられ、精霊としての力は魔界にいるが故極端に落ちていた。
アプリコットの恐ろしいまでの力に、本当に勝てなくなっていた。
精霊の力を強く持ったまま、魔界王に近付くことは出来ぬと、
ミーソはかつて、その力を自ら捨てた。
ミーソは、思っていた。
どうして、何をやってもうまくいかない。
ただ、優しかったあの子が欲しい。
自分など、愛されぬ存在でしかない。
ミーソの思いは、封じられた魔力とともに、心の奥底へ沈んでいた。


(そもそも、油断するからいけねェ。)
自責しているのは、アプリコットだ。
カルボナーラに囚われたとき、アプリコットは、「油断」の一言に激しく自分に憤りを感じた。
何気なく入った部屋には、魔道書がひとつ、置いてあった。
アプリコットは、それを、「カフェが持ってきた例の物」だと思って手に取ろうとした。
そのときカフェラーテはまだ、それを探している最中だったのだが
外出している間にカフェラーテが部屋に魔道書を置いていくことはよくあったので、持ってきてたか、とそう思った。
アプリコットは魔法に関しては本当に感心するほど勉強し詳しかったが
妖術にはとんと疎かった。
興味がなかったからだが、通ずる物があるものとして、知っておくべきだと後から思った。
本に手をかけた瞬間に、妖気に気付いたが、もう遅かった。
油断した。
そのまま、あとは強力な妖術に、意外にもなすすべもなく囚われたのであった。
そのときアプリコットは、自分の魔力を耳の飾りに封じ込めて抑えていた。
アプリコットは、たまに暴走しそうになる自分の力をもてあましていた。
魔法研究所の薔薇と呼ばれる博士に作らせた耳の飾りは、
そのあまりあるほどの魔力を一般のミドル・セージよりも抑えた。
それでアプリコットも随分楽になっていたのだが、
そのかわり周りの多々の力を感じるのに少し鈍くなっていた。
それでも、自分の力に自信があったアプリコットは、何かが起きてもなんとかなると、自分自身を過信した。
結果、今に至る。
全く、それは封じたことが所以するものではなく、自分自身の過信と油断からきたものだ。
と、アプリコットは暗い魔界を進みながら考えていた。
王女は強かったが、まだ17の子供であった。
頭は良く回る娘だが、今何が起きているか、知ることはまだ叶わなかった。


天候が突然変わった。
曇っていた空は雨雲を呼び寄せ、暗い街をさらに暗くした。
そのうちぽつりぽつりと小雨が降ってくる。
「カルボナーラさんとブレッドはどうするんだ?」
脳天気な声で、魔界人二人に声をかけたのはアールグレイだった。
「アタシ達は何か役に立てるのかしらねえ。」
「あの!僕は・・・今気付いたんです。気になることがあります。
ミント姫との同行を許して頂けませんか。」
若干退屈そうな姉の隣で、ブレッドはそう申し出た。
「・・・ブレッド君、気になることって、何??私、何かいけないかしら。」
ミントは、少し不安そうにブレッドを見る。
「いえ・・・、ミント姫、すいません。あなたではなく、その侯爵のことです。」
「・・・ポークフランク侯爵が・・・・・聞かせてくれないか。何か訳ありの様だが。」
グラッセが聞く。
「はい・・・。侯爵の屋敷から、妖気を感じます。」
「なんですって!?」
驚いたのはカルボナーラだ。
この子は、アタシより妖力が強いんだったわね・・・・。
そう思いながら、カルボナーラは妖気を探った。
・・・・・僅かに。
侯爵の屋敷は、カラメルより少し離れた、海岸線に沿った場所にあった。
その屋敷から、普通の人間なら感じることの出来ない力、妖気が漏れるように
僅かにあると、カルボナーラは感じた。
「妖術は侮ると痛い目見るわよ・・・。アタシみたいなのでも、乱暴姫を捕らえられたくらいだから。」
「乱暴姫って言わないで!!」
ミントは姉の言われように怒る。
「まあまあ・・・。それで、続きを聞きたい。」
ミントをなだめつつ、ガナッシュは話の先を促す。
「それ以上は解りません・・・。でも、侯爵は、妖術を使える者・・・何者かを従えていると
考えられますよね?僕も妖術を使います。僕と姉上を同行させて下さい。」
「え、アタシも?」
一同、何か嫌な予感に一瞬黙り込む。
そこに呑気なカルボナーラの声が、一瞬静まったその場に妙に響き渡った。
「何だよ・・・。何か心配になってきたぜ・・・。」
怪訝な顔のプディング。
「妖術、ねえ。」
ラズベリーもまた、妖術は専門外だった。妖術は人間には扱いにくく、アプリコットと違い多少の入れ知恵程度の認識のあるラズベリーではあるが、その僅かなものを感じるには至らなかった。
「妖術は人間が使うにはあまり・・・。僕もさっぱり解らないよ。
二人にはミント達と一緒に行って貰おう。」
カフェラーテが言った。
「そうですね。全く、妖術だなんて悪趣味な。」
薔薇博士ロゼも、妖気はまるで感じることが出来ない。
研究はしていた。だが、人間の使い手はそういるものではなく、人間界では、特にシチュードバーグやカリーなどの国では、鬼神術法と並んでなじみの薄い術であった。
「何があるかわからないわね・・・。お二人に居て貰えればありがたいわ。
・・・・・ガーリック、貴女は妖術に詳しい方?」
今まで無言でついてきていた魔界人の同胞に、カシューが声をかける。
「・・・私は剣士ゆえ、よくは知らぬ。だが、言われて探ってみた。僅かに感じるな・・・。
私はシャーベットの救出に同行しよう。
人間では、感じることが出来ぬだろう。妖気には私が随時。
微々たる力だが、事はただでは済まぬかも知れぬ。」
ガーリックはそう答えた。
「そうね。思ったより・・・面倒なことになってきたわね・・・。」
「面倒っていうか、さっぱりわかんないですよ。」
アールグレイはそう感想を述べた。
「そうですね・・・。僕もさっぱりわかりません。ですが、侯爵が何か企んでいることくらいは、まあ、明白になりましたね。」
プレッツエルが妙に明るい声で言う。
「ああ・・・。私腹を肥やしたいくらいならまだ解りやすいけどな。
まずはシャーベットを助けよう。シャーベットの命とも関係あるかも知れないな。
ただ海賊をつぶしたいとか、私腹を肥やして名声も得たいとかだけなら、妖術なんていらないだろう。」
ガナッシュがそう言った。
「お前よくそこまで頭が回るなあ・・・。」
言われて気がついた、とアールグレイ。
「早く行こうぜ!ごちゃごちゃ考えてるうちに、シャーベットが死んじまうだろ!
もう、腹が立つ!絶対シャーベットもカラメルも救ってみせるからな!!
アプリコットも心配だけど、アイツはそう簡単にやられたりしねえ。行くぞ!!」
プディングのいきり立つ声は、一同の気持ちを高めるものだった。


天候は荒くなり始め、雨足が強くなってきた。空は稲光をも纏い始め、
海が満ちるのを早めた。
救出班は、海賊達と共に、静かに街外れの危険な海岸へと進めた。
シャーベットは空腹をこらえながら、雷鳴を聞いていた。
腕の拘束は、少年の白い腕にしつこく絡む。
壁から出た釘一本で、その拘束を切ろうと必死に腕を動かしたが、
釘の方が持たずに折れた。
「く・・・。オレはこのまま死ぬのか?雷、いっそオレの腕と足に落ちてくれたらいいのに。」
落雷はときに近く、ときに遠くで光り鳴った。
少年は、雷とは違う光が現れることなど知りもせず、
心には、自分の行き届かない信頼と、愛した街と仲間達のことが
ただただ、むなしく残っていた・・・。


続く。


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